アメリカ建国の精神
16世紀、イギリスのエリザベス1世がイングランド国教会を確立しました。
17世紀にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになりました。
特に英国国教会からの分離を求めるグループは分離派と呼ばれ、宗教的弾圧を受けていました。

宗教弾圧の中、ピューリタン(清教徒)は、信仰の自由を求めて、アメリカに行くことを決意しました。

1620年の秋、(9月6日)「メイフラワー号」(180トン)に乗り102人がイギリスを旅立ちました。
(男性が78人、女性が24人。合計102人(ピルグリム・ファーザーズ))

そのころのアメリカは、全くの未開の地でした。
しかし、「アメリカに行けば、自由に神を礼拝できる」、そういう希望を持って、アメリカに旅立ちました。
キリスト教徒にとって理想的な社会を建設することをめざしたのでした。


9月6日に出発したメイフラワー号は、65日後(11月)アメリカの東海岸に到着しました。
でも、そこはと一面の荒れ地だったため、人が住めそうな所をさがし、
彼らの上陸地は、1614年にジョン・スミスが発表した地図で「ニュー・プリマス」と名付けられた地域でした。
(現在のマサチューセッツ州にあるプリマス)
12月16日に碇を降ろし、12月20日に上陸したと言われています。


何もない荒地に、先ず、自分たちの家を建てる前に、教会を建てました。
飢えと寒さと病気でで多くの人たちは死んで行きました。
102人の半分近くの人たちが、その冬亡くなりました。
それでも、春に蒔く為の作物の種には、絶対に手をつけませんでした。
先住民インディアンのワンパノアグ族が食糧や物資を援助したおかげで冬を越えることが出来ました。

春になり種を蒔き、働きました。

秋になり、豊かな収穫を得ることができました。
彼らは、収穫感謝の礼拝をささげました。

その240年後、1864年、アメリカ大統領のアブラハム・リンカーンは、11月の第4木曜日を、「収穫感謝の日」(The Thanks Giving Day)、いわゆる「収穫感謝祭」という祝日にしました。


      


はじめての収穫感謝祭


アメリカは、麻薬やフリーセックス、家庭の崩壊、失業、貧窮者がホームレスの問題などさまざまな問題を抱えています。
アメリカが混乱状態になれば、世界的秩序も混乱することでしょう。

 アメリカが復興する最後の砦は、アメリカの建国の精神に立ち帰ることかもしれません。
神と共に、先ず教会を建て、学校を建て、最後に自分達の家を建てました。
ようするに神と共にある共同体を皆でつくろうということです。

 そこには隣人に対する思いやりも当然存在します。
神の下で同じ兄弟姉妹としての隣人です。
お金よりもその隣人達との助け合いの精神の方がずっと大切なのです。



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